共働きちむの生活ブロク

30代の共働き夫婦です。2017年秋に旧軽井沢ホテル 音羽ノ森で結婚式を挙げ、2018年には妊娠が発覚し、2019年にはマンションを購入し、など節目節目のことを書いていきます。

できることからやるしかない(小学生の休校について)

わが子は1歳3か月なので、小中学校の休校の影響は受けておりません。

(保育園は登園自粛で在宅勤務withコドモですが)

 

小学生のお子さんのいる知人がFacebookに、「小学校から大量に宿題が出て大変だ。先生たち動画配信してほしい」と書き込んでました。

大量に宿題を渡されて、家でやるべき時間割が1週間分全部決まっていて、毎週先生たちが家庭訪問して宿題を回収していくのだそうです。

知人のお子さんは低学年で、一人で進められず、泣き出したので結局親が付き添ってやるしかないそうです。

しかも、先生たちは大量の宿題のプリントに目を通さなければいけないので、大変ですよね。誰にとってもメリットがない。

 

 

私が考えるに、この状況下では、

①インターネット環境のある子供に対してはスマイルゼミ、NHK for Schoolとか、既存の学習教材を選定し、家でやってもらう(親の手を煩わせないし、オンライン授業について素人の先生が急ごしらえするよりクオリティは高いはず。)。先生は朝の会をオンラインでやったり、電話で様子を聞いたり、ペースメーカーとメンタルケアとしての役割に力を入れる。

②①が難しい環境の子供だけ分散登校し、学校で間隔をあけて授業を受ける。

の2段構えにするのが一番学力格差を生まない気がします。

 

でも現実的には難しいですよね。

理由は子供によって違う学習内容を学校から与えられることになるから、そしてその違いが「インターネット環境があるかないか」という経済的な理由から生まれるからです。

「不平等だ!」という声を上げる人がいるでしょう。

 

だから、学校は「全員一律でプリント教材を大量に出す」ということしかできません。

 

しかし、その方法は本当に平等でしょうか?

親が子供に割ける時間、親の学力や意欲によって、やっぱり格差が生まれますよね。

ただその格差は「学校のせい」ではない、「親の努力不足のせい」と言えるのです。

学生時代に読んだブルデュー/パスロン著『再生産』を思い出します。

超うろ覚えですが、なかに「学校というものは、生まれながらの不平等に拘らず、本人の能力と努力によって社会的地位達成を可能とする平等化装置だと思われているが、それは幻想である。逆に学校によって生まれながらの不平等を学力格差に移し替え、正当化し、不平等を再生産する装置だ」みたいな内容がありました。 

 


 

 

私は性格が悪いので、こんな風に考えてしまいます。

 

まさか学校の先生たちはそんなこと考えていないだろうけれど。

 

休校対策に限らず、ひとつの方法で全員を救うことなんかできないんですよね。

できるところからやって、それでカバーできない人は別の方法で救い上げる。それの繰り返し。

 

まずはできるところからやるしかない。