共働きちむの生活ブロク

30代の共働き夫婦です。2017年秋に旧軽井沢ホテル 音羽ノ森で結婚式を挙げ、2018年には妊娠が発覚し、2019年にはマンションを購入し、など節目節目のことを書いていきます。

里帰り出産のメリットとデメリット

結婚してから関東に住んでいます。

産休に入ってすぐ~子供が4ヶ月直前になるまでと、結構長い間、里帰り出産をしました。

家と実家の距離は新幹線と在来線で3時間ほどです。

 

里帰り出産のメリットとデメリットをメモしておこうと思います。

 

メリット

・産後、家事・育児のサポートが受けられる。

これは本当に大きいです。産後は出産の出血による貧血と寝不足でふらふらで、自分の食事なども作れる状態ではなかったので、助けてもらわなければ乗り越えられなかったと思います。

ちなみに夫は家事ができる男なので、私が不在中の生活は心配なかったです。

デメリット

産婦人科の転院が面倒、お金もかかる。

前半妊婦検診を受けていた病院から出産する病院に紹介状を出してもらう必要があり、文書料がかかったり、必要な検査項目が2つの病院で違っていて、検査を受けなおすことになったりしたので、最初から出産まで同じ病院でお世話になるよりも余分にお金や手間はかかったかなと思います。

・病院の両親学級に夫と一緒に参加できない

夫の仕事もあり、距離があるため、出産する病院で開かれた両親学級には、夫は参加できませんでした。入院する部屋や分娩施設の案内もあったので、夫も参加できたらよかったなと思いました。

・場合によっては里帰りできず、出産となることも。

私はつわりは当初、余りなかったのですが、出産が近づくにつれ体調が悪くなり、とうとう関東の病院から早めの里帰りを勧められ、予定よりも早く里帰りすることになりました。

私はまだ里帰りできたのでよかったのですが、体調によっては途中で長距離移動ができなくなり、里帰りせずに出産する場合もあると思います。その場合、予定が大きく狂うことになります。私が前半通っていた病院は出産はできない病院だったので、もし何か起こったら提携先の一度も行ったことがない病院で出産することになるところでした。

・夫が出産に立ち会えないかもしれない。立会いのための交通手段や宿泊場所の確保。

子供はいつ生まれるかわからないので、生まれる兆候が出てから夫が仕事の算段をつけ、新幹線の予約をとって駆けつけるとなると間に合わない可能性もありました。結局私の場合は予定日を過ぎて入院して陣痛促進剤での出産となり、子供が年末に生まれてくれたので、運よく夫が立ち会えました。夫は病室に泊まることができました。

自治体への費用請求手続きが面倒

 妊婦検診費用や、子供の生後二ヶ月から始まる予防接種、母親の産後検診費用を受ける際には、通常自治体からもらった公費券を病院に提出することで、自治体からの補助が適用され、窓口での費用負担が少なくなります。私の出産した病院は県外なので、いったんすべて自分で支払う必要がありました。(病院によっては県外の自治体とも公費券が利用できるよう契約をしてくれる場合があります。私の出産した病院はだめでした。)

同様に、子供が生後、小児科を受診したときも、子供医療費受給券が使えず、いったん負担する必要がありました。

里帰りから家に戻った後、負担した検診費や、医療費、予防接種費の償還手続きをしましたが、書類の書き方がややこしく、子供の検診で市の保健センターに行った際に領収書を持参し、職員さんに聞きながら書くことになりました。

・子供の出生手続きが不便

子供が生まれると、出生届提出・児童手当の申請・子供医療費受給券の申請など、市町村関係の手続きや、子供を扶養にいれ、保険証を発行してもらうなど会社関係の手続きをしなくてはなりません。夫がすべて対応してくれました。母子手帳のコピーが必要になったりするので、書類のやり取りを郵送で行うことになり、少し面倒でした。

・保活開始が遅れる

私の住む市は、関東有数の保育園に入りやすい市なのであまり困らなかったのですが、保育園の見学の開始が遅れました。

・自分と子供のかかりつけ病院を新たに探す必要がある。

里帰り中に子供が小児科にかかったり、自分が乳腺炎になって婦人科にかかったりしたのですが、里帰りが終わってから再度かかりつけ医を探すことになり、二度手間だと思いました。

 それでもやっぱり里帰りしてよかった。

書いてみると里帰り出産はデメリットが多いように見えますが、産後の生活が大変すぎるので、里帰り出産してよかったと思います。

赤ちゃんの寝る場所問題

赤ちゃんの寝る場所については結構悩みました。

 

ベビーベッドにするか布団にするか。

 

ベビーベッドの良いところは、安全な空間に子供を置いておけるところです。誤って踏んづけたり、添い寝で押しつぶしたりする心配がありません。

あと、床から高さがあるので、床周辺に舞うほこりを避けられるそうです。

悪いところは、夜間の授乳の時にベビーベッドのところまで行って柵を下して、授乳が終わったら赤ちゃんを入れて柵を戻すのが面倒なところ。 

布団のいいところは、添い寝ができるところ、転がって落ちても高さがないので怪我をしないところです。

 

退院後~生後2か月まで

里帰り中の実家では自分が布団で寝ているので、赤ちゃんの姿が見えないと不安、しかし添い寝は潰しそうで怖い…ということで、結局、生まれてすぐは自分の布団の横の床に乳母車のかご部分をおいて寝ていました。

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布団の横の床に乳母車のかごが置いてある

乳母車は東京乳母車のプスプスです。上のかごだけ取り外すことができます。


 

たぶんプスプスの本来の使い方とは違うんだと思いますが、これがなかなか具合がよかったのです。

かごがあるので自分の体で潰す可能性はないし、ちょうど子供の顔の高さが布団に寝ている自分と同じくらいになり、添い寝しているような感じで子供も安心してよく寝てくれました。

寝かしつけるときは、抱っこして揺らしたり授乳したりして、寝たところをかごにもどしていました。

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布団に寝ながらかごをすかして子供と目が合う

生後2か月~現在(生後3か月目)

生後2か月ほどで、大人用の布団を二つ並べて、ひとつに自分が寝て、ひとつに赤ちゃんを寝かせるようになりました。

理由としては

・泣いたとき、抱っこして寝かしつけるのが体力的につらくなってきたので、添い乳をして寝かしつけるようになってきた

・子供の動きが活発になり、かごの壁に手足をぶつけるようになってきた

・体がしっかりしてきてなんとなく添い乳しても潰さない気がしてきた

というような感じです。

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子供の横においてある枕が私が寝る枕です。これはおもちゃで遊んでいるところ

添い乳して、子供が寝たら自分はそーっと横にスライドして、自分の布団で寝ます。

添い乳をすると一瞬で寝てくれるので、すごく楽です。

(窒息の危険があるので、自分が寝てしまわないように気を付けなくてはなりませんが。)

 

この寝方は楽なのですが、デメリットが2つあります。

1つ目は赤ちゃん用の布団ではないので、赤ちゃんにとっては柔らかすぎるところ。

赤ちゃん用の布団は、体育のマットレスみたいに固いです。そのほうが背骨の成長にいいのだそう。

一応、昼間はリビングにベビーベッドを置いて、固いベビー布団に寝かせ、大人用の布団に寝るのは夜のみにしています。

 

二つ目は、布団と布団のはざまに赤ちゃんが挟まれたら危険なところ。まだ寝返りをしませんが、寝返りをするようになったら 気を付けなければいけないと思います。

いまはまだ里帰り中で、実家が広いので大人用の布団を並べて敷いたままにすることができるのですが、夫と暮らす家(購入したマンション)に移ったらおそらくそんな場所もないので、私のセミダブルベッドに添い寝予定です。  

 

 

子供が死んでしまうのではないか、という心配。

もしかしたら不快に感じる方もいらっしゃるかもしれない内容です。そう思われる方は読まないでください。

 

妊娠してから、常に頭の隅にある心配。時として頭のすべてを支配してしまう不安。

それは、「子供が死んでしまうのではないか?」という心配です。

 

  

成長するごとに現れる心配事

たぶん私が心配性すぎるのだろうと思います。

妊娠がわかってから、常に流産・早産の可能性が頭を離れませんでした。

ちょっと胎動の間隔が空いたら、すごく不安になったり。

出産するまで、無事に生まれるかわからない、という気持ちがどこかにあり、産休に入る前に仕事関係の人に挨拶するときも、「産休」であることは必要最低限の人にしか言いたくないと思っていました。

会社の人が「元気な赤ちゃんを産んでね!」と言ってくれても、「はあ、まだ無事に生まれるかわからないので…」とか返していて、変な奴だったと思います。

 

子供は無事に生まれて、今二か月です。

でも心配はなくなりません。

添い寝して窒息させないか、ミルクがのどに詰まらないか、乳幼児突然死症候群SIDS)で死んでしまうのではないか、毎日心配です。

すやすや動きもせずに眠っていると、呼吸を確かめたくて、鼻の前にティッシュを垂らしてみたり。

 

さらにはもっと大きくなってからの危険を、今から考えてしまいます。

「寝返りするようになったら、うつ伏せで寝て、窒息やSIDSで死んでしまうのでは?」

地震で家具が倒れてきて、つぶれてしまったらどうしよう」

「高いところから落ちたら」

「小学生になって、学校への行き帰りに交通事故にあったら?悪い人に遭遇したら?」

新聞やテレビで事件事故のニュースに触れると、以前は「自分が遭遇しないように気をつけなきゃ」と思ったのに、今では「子供がそうならないようにしなきゃ」と思います。

あんまり心配しすぎると消耗するので良くないのですが、考え出すと頭がいっぱいになってしまうのです。

 

親になった証?

そんな私に、母親が言いました。

「母親になったから、子供を守るために危険に敏感になっているんだよ。親になった証だよ」

また

「親は自分が死ぬまで、子供のことを心配し続けるんだよ。

自分が死ぬときに、『ああ、子供がこれまで生きられてよかった、これからも無事にいきてくれるといいなあ』と思いながら死ぬんだよ」

とも言いました。

私はこれを聞いて、自分の気持ちに説明がついたような気がして、いくらか安心しました。

きっと、わたしも夫も自分が死ぬまで子供の事を心配し続けるでしょう。心配がなくなることはないのです。

 

心配はなくならないが、できることをやっておく

心配するだけでは仕方ないので、できる対策はやっておくことにします。

まずは自分が危険予知ができることが一番だと思うので、子供の事件や事故の情報は収集しておきます。

朝日新聞の特集「小さないのち」を過去も含めて読んだりとか(読むとつらくなってきますが)

→新聞での連載が、書籍にまとめられたもの


 

 

子供の救命方法を覚えたりとか(これは家族にも読んでもらいました)

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子供への心配はずっとなくならないので、できることはやっておいて、あとはのびのび楽しく子育てできたらなあと思います。

 

出産備忘録⑩出産後は寒い!

これで出産の記事は最後です。

出産の記述があるので、苦手な方はいよいよ見ないほうがいいかもしれません。

分娩室には痛みの合間を縫って、自分で歩いていって、分娩台のうえに横になりました。

分娩室は3つあり、隣から産声がきこえました。

さっきまで陣痛室で隣だった妊婦さんのお子さんが生まれたんだなあと思いました。

そこから先はとてもあわただしく進んだので、あまり覚えていません。

枕元のほうに夫がいたので、赤ちゃんが生まれたら一番にだっこしてねといいました。

 

助産師さんが3人がかりで、忙しく作業していて、お医者さんはゆったり見守っている感じでした。

痛くなってきたらいきんでねーと言われ、次いきんだら会陰切開するからねーといわれ、痛くなってきたところで、分娩台の横についていた手すりをつかんでうーんと力をいれたら、ドゥルンと何かが出てきました。16時28分、子供が生まれました。

すぐに産声が聞こえず、心配したのですが、一瞬助産師さんたちが何か作業をしたら、泣き声が聞こえました。

おなかにバスタオルが置かれ、ここに赤ちゃんが来るからねーと声をかけられて慌てて手を準備すると、赤ちゃんが乗せられました。

青い色をしていましたが、思わず「よかったなあ、かわいいなあ」と声が出ました。

赤ちゃんは少し羊水を飲んでいたようで、すぐ横にある保温ベッドに連れていかれ、口から管を入れられて水を吸い出されたりしていました。

胎盤が出てきたり、子宮を収縮させるためのマッサージを受けている間にも赤ちゃんが心配で、「赤ちゃんは大丈夫ですか?」と何回か聞いてしまったような気がします。

「赤ちゃんは大丈夫だし、何かあれば新生児科の先生に見てもらえるよ!」とお医者さんか助産師さんが答えてくれて、安心しました。

さすが大学病院!

すごく寒くなりました。体が震えて鳥肌が立つくらい。

夫に出産セットからカイロをあるだけ(4つ)出してもらって、背中に貼ってもらいました。

赤ちゃんが出たことと、出血によって体温が奪われるので寒くなるということでした。このまま2時間ほど横になって、体力を回復させるそうです。

気が付いたら分娩室に夫と私と、横の保温ベッドに寝ている赤ちゃんだけになっていました。

産後はすごい幸福感に包まれて、夫が赤ちゃんの写真を撮ったりするのを見ていました。

これが出産の一部始終です。

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出産備忘録⑨破水、分娩室に移動するまで

出産についての記述があるので、出産が不安になる方や、生々しい表現が苦手な方は、見ないほうがいいかもしれません。 

 

午後は夫が陣痛室に来てくれました。

 

助産師さんが30分毎に来て、陣痛剤の投与量を増やすたびに、痛みはどうかと聞かれました。

生理痛のような痛みなのか、それともお尻が痛いか、としばしば聞かれました。生理痛のような痛みの間はまだ生まれないみたいです。

その後も、痛みの間を縫って歯磨きをしたり、スクワットをしたりしていましたが、14時ごろにいよいよ痛みが強くなってきました。

さっきせっかく頑張って食べた昼食も、全部戻してしまいました。

お医者さんの診察が入りました。なんと診察の途中に破水しました。

子宮口が少し開いてきているので、「今日中に生ませます」と宣言されました。

少し羊水が汚れているとのことです。

普通分娩の予定ですが途中で帝王切開に切り替えることもあります、とお医者さんが私と夫に説明しました。

隣のベッドの人がいきみたいと言い出して、分娩室に連れていかれました。あんなに痛くならないと生まれないんだなあ、先は長いなあと思いました。

15:30ごろ、痛みがなかなか耐え難くなってきました。

例えるならインフルエンザにかかって一番つらいときのような、内臓系の痛みです。 

あまり痛いので、助産師さんが来た時に、今どういう状態なのか聞いてみました。

赤ちゃんがお尻のほうに顔を向けようと頑張っているところですよ」と言われました。

赤ちゃんが一生懸命回転しようとしているところを想像して、「○○ちゃん(子供の名前)頑張れよ~」と声に出しながら 痛みに耐えました。

そうこうしているうちに急にお尻のほうから何か出そうな感じがしてきたので、ナースコールを押しました。

助産師さんとお医者さんが来て、子宮口がほぼ開いているということで、分娩室に移動することになりました。

急展開でうろたえている夫に、病室にまとめておいた出産セットを持ってきてもらいました。

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出産備忘録⑧生まれた日の午前中

12月28日

朝から生理痛のような痛みがありました。

仕事納めなので、ぜひ今日中に生まれてほしいところです。

この日も9時から陣痛促進剤の点滴をはじめ、また最小量の10mlから始めました。

まだ時間がかかりそうなので、夫には病室で待っていてもらうことにしました。

陣痛室にはカーテンで仕切られて二つベッドがあり、昨日はもう一つのベッドは空でしたが、今日はもう一人の妊婦さんが同じく陣痛促進剤の点滴を始めたようでした。

 

9時~10時ごろまでは本を読んだり、携帯で映画を見る(病院にはフリーWIFIがあったのが非常に便利でした。)ことができたのですが、10時過ぎには生理痛のような痛みが強くなってきました。

生理痛ならば、ロキソニンを飲んでいるレベルの痛み。

これはもう痛みと真剣に向き合おうと思いました。

ここで、もういちどソファの上に胡坐をかいて、イヤホンをはめて、ソフロロジーのCDを聞きながら瞑想をしました。

 

隣のベッドの妊婦さんがかなり痛がりはじめ、「あの人は今日陣痛促進を始めたのに、先を越されたなあ」と思いました。

 

NSTの画面に映される波形が大きくなってくると痛みが強くなり、引いていくと痛みが治まるので、ついつい画面を見てしまいます。

昼食はベッドに座ったまま食べました。メニューはまさかの一口とんかつ。波形を見ながら、痛みが治まるタイミングで頑張って食べました。

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出産備忘録⑦入院2日目も陣痛来ない

出産についての記述があるので、出産が不安になる方や、生々しい表現が苦手な方は、見ないほうがいいかもしれません。

12/27

9:00からおなかに赤ちゃんの様子と張りの様子を見る機械をつけて、陣痛促進剤「アトニン」の点滴を始めました。

最初は10ml/時間の点滴から始め、30分毎に10mlずつ増やしていきます。

10時ごろから若干生理痛のような下腹の痛みがでてきました。

12時まえには、機械の画面をみると少し張りの波形が規則的になっているのが見て取れ、いよいよか?と思いました。

しかし、13時すぎには張りが間遠になってきてしまい、産婦人科の先生の診察でも子宮口があまり開いていないと言われました。

この診察のときに、「胡坐をかいていると出産が進むよ」とお医者さんから言われたので、ベッドの上で胡坐をかいていることにしました。

14時前には、点滴が事前にマックス量と聞いていた90ml/時間まで増えてしまいました。

14:30ごろ、関東で働いていた夫が来ました。

産休に入った直後から里帰りしているので、久しぶりに会ったような気がして、うれしかったです。

陣痛室にいる私の姿を写真に撮ったりしていました。

15:30ごろにはお医者さんの診察がありました。

陣痛の間隔が間遠になってきてしまっている、子宮口は午前の診察の時と同じくそんなに開いていないということで、しょぼん。

そのあとも30分毎に点滴の量を増やしながら、17時まで点滴を続けましたが、この日は出産に至りませんでした。

夫が病室に泊まってくれました。

出産の前に夫婦でゆっくりできたので、これはこれでよかったかも。

夜の間も生理痛のような痛みがありましたが、普通に寝られました。

この日も、トイレなどで点滴がはずされたすきや、点滴を開始する前後の時間を縫って、スクワットをしていました。

一日合計で200回くらいはしたと思います。

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